願望か、それとも

 身体が寒い。
 放散していく熱をつなぎとめるように己の両肩を抱く。

「プラチナ様……!?」

 身体を暖めていると、背後から驚きに上ずった声が聞こえてきた。
 振り向いたプラチナの目線の先に、黒髪の男がいる。

「プラチナ様、そんなところで何やってるんです!」

 男は早口で一喝し、プラチナが一人で立つテラスに向かって駆けてきた。
 自分が濡れるのも構わず、躊躇なくテラスに飛び出し、すでに全身が濡れそぼったプラチナを呆れた顔でみつめてくる。

「こんなに降っているのに」
「……さっきまでは、そんな気配はなかったんだ。遊んでいた鳥がいなくなったと思ったら、急に」
「それならぼーっとしてないで早く中に入ってくださいよ、まったく」

 文句を連ねるジェイドに引っ張られるようにして、室内に戻る。
 なぜか落ち着かない。プラチナは所在なく立ち尽くし、絨毯に己の服から滴る雨水が染みていくのを見ていた。
 その間もジェイドはてきぱきと動いている。

「湯を用意させますから、これで身体を拭いておいてください」
「湯はいらん」
「何言ってんですか、ダメですよこのままだと確実に風邪引きますから」
「だが……まだ時間でもないのに、こんなことで湯浴みの用意をさせるのはな」
「はあ、下のものに気を使ってるんですか? お優しいのも結構ですがね、奈落王に倒れられて一番困るのはその下々の者なんですが。わかります?」

 「こんなこと」でもないだろう、と付け足し、ジェイドはいささか乱暴に思える手つきでプラチナの身体を拭き始めた。

「王になられた以上、貴方の身体は貴方一人のものじゃないんです」
「……」
「それにもともと身体が弱いんですから、気をつけてくださらないと。自覚してます?」

 黙っていれば永遠に続くのではないかと思われるジェイドの小言だったが、昔のような刺はない。
 プラチナの脳裏にすぐに浮かぶジェイドは、従者として主の身を案じることはあっても、最後に必ず釘を刺した。

『王になれなかったら貴方の命はゴミ同然ですから。もちろん、私も同じ運命ですが』

 その一言が、今はない。プラチナの身を案じていることを隠そうともしない。
 そのことが示す優しい期待に戸惑う。なぜ? 彼のいう通りに、王になったから?
 いや、違う。彼の本当の望みは、プラチナが王になることなどでは……

(では、なんだった?)

 思い出せない。
 プラチナは思わず、ジェイドの腕を掴んだ。

「……どうしました?」
「なぜ、血相を変えて飛んできた?」

 ジェイドは眉根を寄せ、聞き分けのない子供を見るような渋面を作った。

「そりゃ、血相変えたくもなりますよ。貴方は奈落王で、俺はその側近で」
「それだけか」
「はい?」
「それだけ、なのか」
「何を仰りたいんです? プラチナ様。……熱があるんじゃないですか?」

 ジェイドの指が伸びてくる。プラチナの額に。
 プラチナはそれを拒まず、委ねるように身体を寄せる。
 互いの体温が感じられそうなほどに近づき、顔を寄せ、あとすこしで頬が触れ合うというその瞬間、プラチナの額に手を当てようとしていたジェイドは囁いた。

「驚きましたね。まだ息がある。楽にして差し上げるのが部下の務め――ですかね」

■■■

 身体が寒い。
 圧倒的な現実が――恐ろしい現実が、プラチナの身体を、思考を絡めとった。意識は完全に覚醒した。
 プラチナの身体から流れだしていくのは雨の雫ではなく、血だ。
 「王の間」の石造りの床に、すでに大量の血が流れている。
 胸に突き立てられた剣を抜く気力も、体力も残っていない。
 だから、霞む視界のなかで必死に見上げた。自分を刺し貫いた男の顔を。どんな表情を浮かべているのかを、知りたかった。
 まだどこかで信じられずにいた――その裏切りを。

「何か言い残すことでもありますか? もうろくに喋る気力もなさそうですが」
「……ジェイ、ド」
「もう充分に、戦ったでしょうに。現実と」
「……ジェイド……」
「もう休んでもいいんですよ」
「……」

 優しさ。いたわり。哀れみ。
 冷たい態度の、突き放した物言いの、その影に、確かに感じていたはずのそれらは、今は微塵も感じられない。初めからそんなものなど、存在しなかったかのように。すべてはプラチナの、頼る者なく迷う子供の、幻想だったとでもいうように。
 確かめたくても、男の表情を見ることは叶わなかった。

「……プラチナ様」

 失われていく体温。霞んで捉えられなくなっていく視界。そのなかで、暖かな指先を額に感じた気がした。
 ちょうど、さきほどまで見ていた夢の中のように。

 幸せな夢だった。
 ジェイドがいて、自分がいて、鳥がいて、仲間たちがいて、愛され、愛され、愛された、幸せな夢。

 それは、弱い心が生み出した願望か、それともありえた未来の、